「リアルな音に触れていたい」ブレることのないミュージックライフ:島崎啓太(Public Space 四次元, NEMESIS,MIRABILLIS) 後編

text by うえみずゆうき

28歳の若さにありながら音響10年、ライブハウスの店長としても5年を越えるキャリアを持つ。シーンを影で支えつつ、自身もまたバンド活動を行なう島崎啓太のバイタリティ溢れる音楽ライフを辿っていきます(前編はこちら)。

運命の出会いは偶然の出会い

福岡スクールオブミュージック音響科卒業後、Public Space 四次元(以下、四次元)のスタッフとして働くことになりました。 ライブハウスの仕事は、自分がずっとやりたかったこと。毎日が刺激的でした。

ただ、自身のバンド活動は、熊本から福岡に出て来て以来、気の合うメンバーに恵まれず、まったく手付かずの状態。

ライブハウスで働き始めて2年目、島崎に運命的な出会いが訪れます。 とあるパンクイベントで、ひときわ目立つお客さんがいました。

―― 同い年ぐらいで髪の毛ツンツンでボロボロの革ジャン着てるヤツがいて、「これは俺が理想としてたパンクスじゃないか!」と。すぐに声かけて「バンドやってるの?」「やってない!」「何ができる?」「特に何も!」「じゃあ、ボーカルよろしく!」って、出会ったその日にバンドを結成しました。

念願だったハードコア・パンクバンド「NEMESIS」を結成。

ネメシス(島崎はギター)

ライブハウスのスタッフとしてだけでなく、自身も音楽活動を開始。 初のツアーなども経験し、バンドマンとしてもキャリアを本格的にスタートしました。

23歳にしてライブハウスの店長に就任

2011年、ライブハウスのスタッフとして、また、バンドマンとして順調に活躍していた矢先、またしても転機が訪れます。 前任の店長の退職をきっかけに、わずか23歳にして四次元の店長に就任しました。

―― 最初は、ただただ目の前の業務で精一杯でした。今思えば、「店長」という責任の意味もよく分かっていなかったと思います。とにかくがむしゃらにやるっていう感じでしたね。

この時期からおよそ3年間は、休みと業務の境がわからなくなるほど。いわば、四次元のことを24時間考えているような覚醒モードが続いたと言います。

―― 休みの日も四次元のことをひたすら考えていましたね。休日も、頭は常に働いていました。ある種、曲を考えているときに近い感じというか。とにかく楽しい感じでしたね。

現場を回す≠経営する

3年が経ち、現場を安定的に回せるようにもなってきた頃、次の壁にぶつかりました。3年間、売上がほとんど横ばいだったのです。

―― 店長就任から数年は周りのサポートのおかげもあり、なんとか「やれてる風」だったんですけど、経営視点で見たときに売上が伸びていないという課題に直面しました。つまり、やれてないなと。初心にかえった時期ですね。

「現場を回す」から「現場をもっと成長させる」「業績を上げる」というステージに突入した時期でした。

ライブハウスからパブリックスペースへ

今後の発展のために、島崎が力を入れているテーマも明確です。

―― 今は特に2つのテーマで取り組んでいます。まず、店側の「発信力」は1番の課題だと思っていて。今まで集客は出演者に任せっきりだったところもあったし、まずはそこを変えていきたいなと。ライブハウス自身がお客さんを呼べるようにならなきゃといけないなという意識が強くあります。
もう1つは、コミュニティづくり。個々の小さな集団を少しずつつなげて、コミュニティ化していきたい。そのために、バー営業をやってみた時期もあったんですけど、もう少し音を絡めた形でできないものかと思って。今「実験室」と銘打って、ワークショップ形式で音にまつわるさまざまイベントを企画したりしています。

「実験室」では、スネア(ドラム)の音作り講座、マイクの音比べ、エフェクターのフリーマーケット、バンド初心者のためのバンドの学校など、ワークショップを通じて音楽人同士が自然とつながっていける場づくりを意識しています。

ライブハウス四次元が、本当の意味で「Public Space 四次元」へ舵を切った、そんな移り変わりの時なのかもしれません。 四次元を牽引する島崎の挑戦から今後も目が離せません。

島崎啓太:熊本県出身。「Public Space 四次元」店長。音響エンジニアとしてライブハウス・ライブ文化の未知なる可能性を模索中。パンクをこよなく愛する。